明珍宏和「幕が上がる、その前に」第10回 ── 指揮者から歌手へ

 プリンスオペラ代表・明珍宏和さん執筆のエッセイ「幕が上がる、その前に」。

 今回は、明珍さんのインタビューをさせていただいたのちに生まれた問いをお尋ねいたしました。


「指揮者の道を志していらした明珍さんは、その後、本格的に歌手の道を歩まれることとなりました。もしよろしければ、この道を選んだきっかけをお聞かせいただけますか?」


 この問い掛けへの、明珍さんからのメッセージ、どうぞお読みください。


 指揮者を目指して勉強を始めたものの、かなり早い段階で大きな壁にぶつかりました。それは、自分に「音楽的な素養がない」と感じたことです。ここでいう素養というのは、幼いころから音楽に触れていたり、楽器を習っていたりする経験、あるいは、もともと備わっている音楽的な感覚や才能のようなものです。私は、そうしたものがほとんどないところからのスタートでした。

 それでも、とにかく自分にできることを増やさなければと思い、始めたのが声楽でした。

 ところが、声楽を始めた時期がちょうど変声期と重なってしまい、声は思うように出ない、うまく歌えない、音程すらまともに取れない、という状態でした。指揮の勉強で壁にぶつかり、今度は歌でも挫折するわけです。

 そもそも音楽を本格的に始めた時期もかなり遅かったので、「これでは指揮者になるには間に合わないのではないか」「自分には才能がないのではないか」と、当時はずいぶん悩みました。

 そこで、いったん指揮者になるということよりも、まずはきちんと歌えるようになろう、と考えるようになりました。私にとっての声楽の道は、そこから始まったように思います。

 ただ、私の場合は少し変わっていて、指揮のほうでは比較的早い時期に成功体験を得ることができました。

 高校生から大学生のころ、母校で合唱の指導をしておりまして、そのなかで全国大会に出場し、何度も賞をいただいたり、優勝したこともありました。

 もちろん、とてもありがたい経験でした。ただ、若かったこともあって、そこで少し「指揮や指導というのは、こんなものなのかな」と思ってしまったところもありました。成功体験が早すぎた、と言えるのかもしれません。

 それまで強く抱いていた「指揮者になりたい」という熱が、そこで少し落ち着いてしまったんですね。

 その一方で、自分の歌については、まったく思うようにならない。指揮では結果が出るのに、自分自身の身体ひとつで表現する歌は、いくらやってもうまくいかない。そのことが逆に、「もっとちゃんと歌を勉強したい」と思うきっかけになりました。

 しかも、私の場合は変声期が非常に長かったようで、今振り返ると、大学3年生くらいまで影響が続いていたのではないかと思います。ですから、そこまでの声楽の勉強は、本当に地獄のような日々でした。

 指揮者になろうと思ったきっかけとしては中学生のころ、地元の声楽家の先生から「君は小澤征爾になれる!」と言われたことがありまして(笑)。

 その言葉を鵜呑みにしてしまった自分を、何度悔やんだかわかりません。

 でも、今になって考えてみると、あの一言がなければ、これほど長く音楽を続けることもなかったのかもしれません。

 オペラ歌手の原点としてよく聞くような、「歌や声を褒められた」というところから始まったのではなく、私の場合は「指揮を褒められた」ことから始まった。これは、もしかすると結果的にはとても良かったことなのではないかと思っています。

 そもそも声楽というものは自分が楽器であるのにも関わらず、自分の意志では全く思い通りにならないものです。

ましてはわたしのように声が出ない、歌も満足に歌えない、音程も取れないという三重苦の状況が長く続いていたら、もはやその道を諦めていたかもしれません。

「指揮を褒められた」経験で指揮者を目指したから、その苦しみすら一つの通過過程として、どことなく俯瞰しながら自分を見つめられたような気もします。


 だからこそさらに深く知りたくなる。試行錯誤を重ねるほど、また別の課題が見えてくる。その奥深さに、どんどんはまっていったのだと思います。

 また、私が日本で勉強していた時期に、最も長くお世話になったのが東京音楽大学の太刀川悦代先生という女性の先生でした。

 男性の先生から「こういう声で歌いなさい」と、自分の声のモデルを直接示されるような環境ではなかったことも、今振り返ると大きかったのではないかと思います。

 良いことだったのか、悪いことだったのかは分かりませんが、そのおかげで、現在のように比較的自由なスタイルで歌えるようになった部分もあるのかもしれません。

 太刀川先生からは、まず音楽的、そして詩的に作品へアプローチすることを教えていただきました。声そのものをつくることだけを先行させるのではなく、音楽と言葉から歌を考える。その教えがあったからこそ、変に自分の歌を崩すことなく、ここまで活動を続けてこられたのではないかと思っています。

 現在は歌手として活動する一方で、合唱を指揮する機会もたくさんいただくようになりました。

 ですから最近になってようやく、指揮者を目指して始めたことも、早い時期に指揮で成果を得たことも、反対に声楽で長く苦労したことも、すべてが今につながっているのだと思えるようになってきました。

 そう考えると、どちらか一方の道を選んだというよりは、指揮から始まり、歌に出会い、ずいぶん遠回りをしながら、今の自分の音楽の形にたどり着いた、というほうが近いのかもしれません。

 そして、「なぜ今、オペラなのか」ということについては――また別の機会にいたしましょう。



 「なぜ今、オペラか」──。明珍さんのその思いは、次号以降の「幕が上がる、その前に」でお聞かせいただければと願っております。



 プリンスオペラ第2回公演《仮面舞踏会》は、2027年6月26日(土)・27日(日)北とぴあさくらホールでの公演です。


 これから、オーディションに合格された若手組の方々のインタビューを順次お届けしてまいります。


 どうぞお楽しみに!







Prince OPERA

北区から世界へ。 プリンスオペラは 地域に根差した質の高い芸術を育て 世界に向けて発信していくことを 目指しています。